MOTORCYCLE

インディアンモーターサイクル「THE IRON REDSKIN」vol.2

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Charls Franklinのフィロソフィ『1947 INDIAN CHIEF』

Indian Motorcycleをイメージした時多くの人の脳裏に浮かぶスタイリングとは。
メジャーなH-Dとは別物のフィロソフィで美意識を主張したThe Iron Redskin。
その象徴たるChief、ここにありき─。

 George M.HendeeとOscar Hedstromが運命的な出会いを経て、“The World’s Finnest Motorcycle ”という共通の夢を実現するべく立ち上げたThe Hendee Manufacturing Company。そこで生まれた初の原動機付き自動二輪車が“Indian Motorcycle”と名付けられた1901年、マサチューセッツ州スプリングフィードの伝説The Iron Redskinは産声をあげる。以来1953年にその歴史に幕を閉じるまで、宿敵H-Dと凌ぎを削りながら数多くのマスターピースを世に送り出したIndian Motorcycle。ブランド自体が消滅した後も、唯一無二のアイデンティティを従える名門として、世界中の愛好家に語り継がれている。
 そんなIndianの象徴たるモデルとして、まず挙げるべきは Chiefであろう。アイルランド出身のレーサーにしてエンジニアだったCharls Bayly Franklinは1910年代よりIndianで手腕を振るったが、中でも1922年に彼が世に送り出したChiefは、かの天才技師が成し得た偉業のひとつであり、その後は世界中のモーターサイクリストに愛されるベストセラーとしてIndian Motorcycleの礎となる。
 デザインの美しさで言えば1940年代のChiefは白眉。前後タイヤを覆うスカートフェンダーはIndianの優美なイメージを決定付けた象徴的なディテールだ。The Iron Redskinの伝統である狭角42度、V 型2気筒横弁式で排気量74ci=1200ccのエンジンに3速トランスミッションを標準装備し、必要にして十分なポテンシャルを発揮する。
 シャーシーの設計も秀逸で、1940年式からはリアリジッドからプランジャーサス付きのフレームに刷新され、悪路での走破性能が向上。さらに1946年になると、30 年代からの板バネフォークが油圧ダンバー内蔵のガーダーに進化し、ハンドリングも飛躍的に改善される。
 かくしてMr.Franklinの肝入りで開発されChief は、創業者が掲げた“The World’s Finnest ”を体現する不朽の名作と言える。

工場出荷時のオリジナルペイントを完璧に保持する見事な1947年式。Indian Motorcycleのブランドカラーとも言えるIndian Redはこれが正解、正真正銘のThe Iron Redskinである。ボア3.25×ストローク4.4375(inch)=73.62ci(約1206.4cc)の排気量を誇る狭角42度のV型フラットヘッドエンジンは40馬力を発揮し、時速137kmを実現した。 

TELESCOPIC FRONT FORK WITH HYDORAULIC DOUNPING.『1951 INDINA CHIEF/ROADMASTER』

油圧式テレスコピック・フロントフォークという当時の最先端を標準装備としたRoadmaster はIndian史上における最もラグジュアリーな市販モデルだ。

 The Iron Redskinの血族が誇る不朽の名作 Chiefは、Indian Motorcycleを巨頭H-Dの牙城を脅かす存在にまで押し上げた天才エンジニアCharls Bayly Franklinが描いた理想のモーターサイクルであり、その類い稀な美しさは地球上に存在する数多の原動機付き二輪車の頂点に位置するもの。いうなれば工業意匠の極致と呼ぶべきヘリテイジに他ならない。
 1922年の誕生以来アップデートを重ね熟成を続けたChiefは40年代に入り遂に完成の域に達したが、Indian Motorcycleの歴史の最終章である50年代に入っても、その進化を止めることはなかった。第2次大戦が終結した激動の40年代をなんとか乗り越えたIndian Motorcycleは、戦後の経済成長に沸く50年代の幕開けに際し、フラッグシップモデルのさらなる改善を決行する。
 その最たるは、1940年式からのガーダーフォークにとって変わり装備された“Telescopic Front Fork with Hydraulic Damping”=油圧式テレスコピック・フォークである。奇しくもそれはウェスコンシン州ミルウォーキーを拠点とする宿命の好敵手H-DがHydra-Glideを市場に投入した1年後、50年モデルのChiefより採用された。この史実をひとつ取っても、H-DとIndianが当時繰り広げたシェア争いの熾烈さが浮き彫りになってくる。
 Seafoam Blueが鮮烈なご覧のChief / Roadmasterは、名古屋の旧車専科Stanceにて納車整備された高い純正度を誇る1951年式。Indian党のオーナー黒田氏の元でたっぷりと愛情を注がれている。

スカイブルーのエクステリアが個性となる1951 Chief Roadmasterとオーナーの黒田氏。左スロットル/右ハンドシフトがデフォルトとなるIndianだが、H-D同様に右スロットル/左シフトに変換済。参考までに、H-Dでいうポゴスティックマウントの二人がけシートといえばBuddy Seatだが、その好敵手Indian MotorcycleのそれはChum-Me Seatと呼ぶのが正解である。

ココアブラウンのラストチーフ『1953 INDIAN CHIEF』

前後油圧式サスペンション装備のシャシーに80ciのストローカーエンジンを搭載する最終年式。
“Cocoa Brown”と呼ばれるDuPontの特色に刮目せよ!

排気量はIndian史上最大となる80ci=1340cc。1次ドライブにはダンパーを内臓し、ギアチェンジの際のショックが軽減される。キャブレターは最終年式のみ英国AMAL製が標準装備された。「この車両は私の手元に来る前、リンカートM352に変えられていますが、本来のAMALも手元にあります。近々装着してその乗り味を試してみる予定です」とは主の弁。フロントエンドは1949年にバーチカルツインのScoutで初採用した油圧式“Aerodaulic”を装備する。

「登録証によると1953年4月にニュージャージー州で登録されているのですが、オリジナルオーナーの年齢を見るとなんと2才だった。推測ですが、当時に身内の方が将来その子が成長した時のために、このchiefを購入したのではないかと。事実、1967年に再度同オーナーで登録証が再発行されていて、ハイスクールを出た19才の時に免許を取得、晴れてIndian乗りになったようです。加えて彼は1950年に生まれ、2010年に他界されたことも判りました。ゆえにこの53年式は、オリジナルオーナーが亡くなるまで大切に所有した車両だった─」。
 このChiefのセカンドオーナーになった山崎氏は、数台のIndianを所有する生粋のIron Redskins。完璧な状態を誇るこの最終年式の購入動機をこう話してくれた。
「1979FXに乗っていたのですが、24才の時に一念発起してIndianに鞍替えした。Chiefに15年ほど乗ったのですが、乗り込むほど知るほどに贅沢な造りだと体感し、Indianに惚れ込んでしまい。“完成型”と言える最終年式が、どうしても気になってしまった─」。
 そんな山崎氏にIndianの神は微笑む。本国でも希少なラストイヤーの出物の情報が迷い込んできたのである。 
「決め手はこの色で“Cocoa Brown”と記されています。現存するオリジナルペイントは世界広しといえど、この車両以外見かけたことがなくて。もう、完全にひと目惚れでした(笑)」    
 かくしてChiefに魅せられた山崎氏だが、その実彼は焼き付け塗装を生業とする職人。Indianの親会社が大手塗料メーカーDuPont社だったことも、何かの縁であろう─。

塗装のプロであるオーナー曰く、「Indianのペイントは極めて高品質。メッキのような下地処理後にDuPont社の焼付エナメル塗装が施されている。Chiefの特徴でもあるスカートフェンダーはDuPontの塗料を宣伝するためという説もあるほどです」。

水を得た魚『1939 INDIAN SPORT SCOUT/BRATSTYLE』

ダートトラックやスクランブラーが宿す泥臭くもアグレッシブな要素を巧みに取り入れたスタイルを打ち出し、日本のカスタムシーンを席巻。
ストリートでこそ真価を発揮するそのカスタムは、時を経ずして世界各国にフォロワーを生み出した。
「Be Fast, Be Cool!」。
Bratstyleのカスタムビルダー高嶺 剛の到達点。

 今から3年前、東京北区の本拠を信頼たるスタッフに任せ、カスタムの本場SO-CAL.のロングビーチに新たな拠点Bratstyle USAを立ち上げた高嶺 剛。ここで紹介する1台は、日本を代表するこのカスタムビルダーがアメリカのベースで愛機として組み上げた1939年式のIndian。Sport Scoutをベースとするフラットトラック・レーサーだ。
「15年くらい前、フロリダ州デイトナで開催されるバイクウィークにいった時に見たフラットトラックで、とんでもなく速いIndianを目の当たりにして感動した。それがずっと頭の片隅にあって、渡米したらIndianのレーサーを作ると決めていた。そもそもアメリカに来た理由も、本場のレースを存分に楽しむことだったから─」。
 カスタムの素材として、メーカー問わず様々なモーターサイクルに触れてきた高嶺から見る、Indianならではの魅力とは。
「デザインの美しさはもちろんですが、個人的には軽くて速いことに尽きる。反面、情報とパーツは他メーカーよりも少なく、苦労することもあります。ロングビーチに店を構え本格的にIndianを触るようになったのですが、当初は失敗の連続でした。その後、知人の紹介で“Indianの名手”として知る人ぞ知る存在というSmokeyに出会った。71歳になるこのレジェンドとの出会いは、自分にとってとても大きな出来事です。レース場であったり彼の仕事を手伝ったりしながら友好を深めた。今では友達と呼べる存在でIndianの師匠でもあります。たまに2人でスピードウェイレースを見に行くのですが、かけがえのない時間です」。
 日本でもお馴染みのビーチレースTROGを筆頭に、Hell on WheelsやIVLFT、Whells and Wavesが主催するフラットトラックが目下のバトルフィールドとのこと。「現在はウエストコーストのダートレースが主ですが、今後はNO-CAL.やイーストコーストのマイルレースにも出たい。またタンクシフトクラスのバイクでデザートレースにも興味があります。
“水を得た魚”とは─。ヴィンテージバイクとレースの本場アメリカの住人となったこのビルダーを示す言葉であろう。

Racingに必要な最低限のエクステリアは全てワンメイク。エイジングが特徴のペイントは、西海岸で名を轟かすDennis Babinの十八番である。見るからに軽量コンパクトな車体に載るホットロッド・モーターにも、高嶺のこだわりが潜む。「フラットトラックを走るためのスペックです。クランクベアリングからコンロッド、フライホイール、ピストン、バランシング、燃焼室、バルブ、カム、カムフォロワー、リフター、ポートサイズ等、全てスペシャルで製作した」。この39年式は、もはやストックのSport Scoutとは別モノのポテンシャルを発揮する戦闘機だ。

TOP写真:長濱 治
その他写真:Kentaro Yamada
text:GONZ

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