MOTORCYCLE

インディアンモーターサイクル「THE IRON REDSKIN」vol.1

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インディアンにまつわる、ふたつの記憶とひとつの記録。

 子供の頃、親父の実家で見た1台の単車のガソリンタンクにはインディアンの横顔が描かれていた。むき出しのメカと野太い排気音で他車を圧倒し、印象深く今も記憶の片隅にある。私の意識にバイクが滑り込んだのは、あれが最初ではなかったか――。

 2度目の関わりは十数年前。アンソニー・ホプキンス主演のバート・マンロー伝記映画『最速のインディアン』で、ポスター撮りの打診があった。1967年にボンネビル・ソルトフラッツで挑んだ世界最速記録樹立の物語。結局ポスター撮りは立ち消えになったが、後年に公開された映画は役者故か秀作であった。ニュージーランドの海辺を疾走するバイク群やボンネビルでの記録挑戦シーン等が秀逸で、やはり単車は爆走する姿が美しいと感じたものだ。

 3度目のインディアンとの出会いは正に遭遇であった。島 菜有率いる「東京インディアンズ」を知ったのは何時だったか――たしか、島が着るジャンパーの背に在るロゴを見て声をかけたのが数年前――後日オフィス訪問時に見た、入口に掛けられていた東京インディアンズのサイン。ハーレーダビッドソン全盛の今日、インディアンに魅せられる男達とは如何なる輩か――。私の好奇心が頭を持ち上げていた。

 同士が集う夏の盛り。胸の高揚と共に彼等の残像を記録した。半世紀以上前、父の実家で目にしたインディアンが時の彼方から飛来し、今此処に在る。時代を生き抜き様々な男達の熱と技量で磨かれ、創りあげられた鉄の理。

 今日尚在るその姿は、鉄の芸術にほかならない。1台のマシンには異なる時代の異なる男達の思いが宿っているはずだ。それが時代を繋ぎ、乗り手の覚悟となり、次なる時代に引き継がれる――。東京インディアンズの彼等がそれを知らない訳がない。それは今日、インディアンを股にする彼等の必須条件とも思える。歴史を股にする――。インディアンとはそうした単車ではないのか。 

オリジナルペイントを保持するThe Sport Four「1937 INDIAN FOUR」

 まず紹介したいのがご覧の1台。愛知県在住の渡辺広幸が所有する、1937年式のFOURで塗装・装備ともに発売当時の状態を保持する、驚愕のスーペリアだ。バリバリのランニング・コンディションを誇る、第1級の絶滅危惧種"The Sport Four"と呼ばれたModel 437をお届けする。

 既存のVツインモデルとは一線を画すハイグレードモデルとして、1927〜42年までラインナップされた4気筒エンジンを搭載するFOUR。ChiefやScoutには存在しない重厚な佇まいも、マサチューセッツ州スプリングフィールドを故郷とする、The Iron RedSkinの誇るべき血族である。

 Fourの歴史を紐解くと、米国における激動の二輪史が浮き彫りになる。1911年にWilliam G. Hendersonが、縦置き4気筒エンジンを搭載するプロトモデルを開発し、Henderson Motorcycleを設立した翌年の1912年、排気量57ciで7馬力を発生する新機種を57台生産、325ドルで販売した。その際、Henderson はこのモデルを自社のパテントとして公に申請、"米国最古"の市販4気筒バイクの誕生となる。

 その後の1917年、HendersonはそのパテントをExcelsiorへ売却するも、製品開発における方向性の違いから1919年には決別。ヘンダーソン兄弟は同年Ace Motor Corporationを設立し、より高性能な4気筒二輪車の開発に着手する。しかし1922年12月1日、William G.が新機種のテスト走行中の事故で突如この世を去る。享年39歳、この悲劇と共にAce Motor Corporationは失速。

 かくしてACEは1927年にIndian Motorcycleに譲渡。スプリングフィールドに生産拠点を移したACE設計の4気筒車は、初年度のみ"Indian Ace"の商名で販売されたが、1928年に設計が見直され、"Indian Four"に改名。1942年まで生産された。

 ご覧の1台は1937年に生産されたFourで、工場出荷時の塗装が残された極めて稀な個体だ。

「元はオーストラリアの博物館に展示されていた物件だったようです。売り物として写真を見た瞬間にひと目惚れしました!」

というオーナーの渡辺氏は、その実1936年式のナックルヘッドも所有する知る人ぞ知るマニア。

「元々ボクはH-D党ですが、Indianの Fourだけは別格で10代からの憧れでした。見た目だけでなくライドフィールも独特で、ナックルやパンをコルベットとするなら、 Fourはキャデラックといったところです――」。

 フューエルタンクに注視! これが37年のオリジナルペイントだ! ガーダーフォークが標準装備される以前に採用された板バネ式=リーフスプリングフォークも30sの証。ホイールベースは約150cm で同年式のナックルとほぼ同寸だが、車重はナックル256kgに対しFourは245kgと、若干軽量に設計されている。参考までに。1937 H-D ELは$435で販売されたのに対し、IndianのハイグレードラインであるFourは$425だった。

 ツインキャブ、デュアルマフラーを標準装備する排気量1,265ccの4気筒エンジン=IOE(The intake / inlet over exhaust engine)機構のInline Fourは、この年式の最大の特徴。4つのシリンダーをふたつのキャブレターで調律して45馬力を発生、当時153km/hの最高速を実現した。

 「隣の年式のFourと比べるとアグレッシブなルックスですが、走りは思いのほかジェントルです――」とはオーナーの弁。38年から最終年式43年はセンターマウントの集合管が標準装備される。

パンヘッドマンが所有する秘蔵の"402"「1930 INDIAN FOUR」

 27年前のアイオワ・ダベンポートの「AMCAスワップミート」で遭遇した。$2,500の1930 Four。フルレストアに要した苦節の10年はこの夏Sturgisでのアワードに結実する─。 

 サンフランシスコのBurrito Rickといえば、Mr.Panhead Manで通るAMCAの古参で、パンヘッドをこよなく愛する生粋のH-D党として弊誌『ROLLER magazine』読者にもお馴染みの存在だろう。

 40年来の愛機でMarthaと呼ぶ、ハリウッドグリーンの1955 FL Hydra-Glideの印象が強い、ベイエリア生粋のバイカーだが、その実ナックルやJD、シャベルをコツコツとリペアして所有するコレクターでもある。そんなH-D番長の自宅ガラージの奥で遭遇したのがご覧の1台、紛う事無きThe Iron Redskinである。

 The Indian is a 1930.I bought it in Davenport Iowa 27 years ago. I paid $2500 for it. I rode it for about seven years motor blew up. It was over 10 years to rebuild and restore. I store the bike at the motorcycle museum in Sturgis South Dakota. And it runs better than it looks――.

 「見た目よりもよく走るぜ」というリックだが、以前10年かけてこの30 Fourをフルレストアした際、難解なインライン4モーターのリビルドを依頼したのが、アリゾナの旧友でIndian狂のMike Kane(※弊誌誌7号のIndian特集を参照されたし)だった。アメリカ本国でもIndianの4気筒エンジンを完璧にフルリビルドできる人材はもはや希な存在だという。

 ちなみに。リックはSturgisで開催されるバイクウイークにAMCAの旧車仲間と共に自走するのが毎年と恒例で、現地には別荘を持っている。このIndianは現在Sturgisの博物館に展示してあるというが、最新情報によるとこの夏のSturgisで開催されたDenver’s Choppers主催のバイクショーに出展されMost Original部門 の1位を獲得したとのこと。SFの御意見番、やっぱり只者じゃありません――。 

 世界的な不況の影響で経営不審に苦しんでいたIndian Motorcycleは、1930年にデュポン社とのM&A(買収合併)に踏み切る。その年に生産されたのがご覧のModel-402で。当時$445で販売された。ハンドルバーに取り付けられたHanson社のスポーツシールドは、ロールアップ式で高さ調整が可能。

TOP写真:長濱 治
その他写真:Kentaro Yamada
text:GONZ


媒体:ROLLER magazine vol.24

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