MOTORCYCLE

米国東海岸に実在する奇跡『THE SURVIVING HIDDEN TREASURES OF THE EAST』

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ベネチアンブルーとクロイドンクリームが意味するもの「1936 H-D EL / SPECIAL SPORT SOLO」

 かねてからその噂は耳にしていた。これまで本誌の取材で幾度となく世話になった旧車クラブAMCAの古参や名の通るクラシックバイクのコレクターが口を揃えるように「デイブのサンロクは世界一」と言っていた。そして去年の秋にイーストコースとを訪れていた際、ついに念願が叶う。
 H-D史上初のOHVモデルの1936年式、ファーストイヤーのナックルヘッドを所有しているだけでも一大事だが、その上工場出荷塗装を保持する1台とあらば、この文化に携わる者なら事件である。車両を目の当たりにした瞬間、正直動けなくなった。恐れ多くて触るどころか近づくことさえためらってしまった。
 少なくとも製造後約80年が経過した車両には見えなかったし、タンク両サイドのウォーターデカールがあれほど鮮明に残っているのも衝撃的だった。かくしてそれは、意味深長な空気を従え、デイブのガラージに神々しく鎮座していたのである。
 1990年代初頭にこのサンロクに遭遇したデイブは、共にオリジナルペイントの37ELと46FL、さらにキャッシュでの追金でこのサンロクを手にいれたという。
「37年も46年の素晴らしい車両だったけど、ナックルマニアにとって36年はやはり特別な存在で、オリジナルペイントとなれば別格。自分のコレクションの中で最も気に入っているのがこの車両だよ─」。
 デイブのようなコレクターは文字通り、旧車の守護神といえる。彼らのようなエンスージアストがいたからこそ、いにしえのモーターサイクルがこうして今に生き長らえたのだ。博物館に展示されるレストア車も大切だが、当時を伝える歴史遺産となればオリジナルコンディションに勝る物なし。

フェンダーサイドのふたつのフックに吊り下げるスリーベルトのサドルバックもマッチングイヤーのH-D GENUINE。(p065)狭角45度のVバンクというH-D伝統のレイアウトを踏襲した排気量61ci=1000cc、史上初のOHVエンジンを搭載するモデル1936EL。当時のスピード狂の間でH-Dの61OHVといえば、誰もが知るスーパースポーツモデルだった。スクエアタイプのエアクリーナーカバーは1936年のみのワンイヤーパーツだが、5インチのラウンドタイプも選択できた。

1936年限定のファクトリーオリジナルペイントVENETIAN BLUE×CROYDON CREAMをここまで鮮明に保持するサンロクは極めて希少。「SHERWOOD GREEN×SILVER」「DUSK GREY×ROYAL BUFF」「TEAK RED×BLACK」「MAROON×NILE GREEN」などの鮮やかなカラーバリエーションをラインナップしていた。  

伝説のアメリカーナ「1940 H-D CROCKER “BIG TANK”」

1930年初頭、ロサンゼルスのVENICE BLVD.の一画でALBERT CROCKERが立ち上げたレーベルはその後、モーターサイクルヒストリーの“金字塔”となった─。

デイブ・ミネルバ曰く、「シートメタルはもちろん、ファンダーはペイントもファクトリー・オリジナル。随分前に手に入れたお気に入りの1台で、前オーナーにはJOHN PAYNEという俳優も含まれている」という1940年式のCROCKER“BIG TANK”。大英帝国の誉れBROUGH SUPERIORと並び、最も高価なモーターサイクルとも言われている。参考までに、あるオークションで同年式のBIG TANKが302,000ドルで落札されている。

 第一次大戦の前、すなわち1914年以前のアメリカには100を超える2輪メーカーが存在したが、世界恐慌と2度目の大戦を経た1940年代に入りなお存続していたのは、事実上H-DとINDIANだけだった。時代に翻弄され消えていった小さなレーベルの中には、H-DやINDIANを凌ぐ性能を備えた高性能車両を開発したベンチャーもあり、ヴィンテージバイクのマニアの間では今も語り草となっている。
 その最たる存在がCROCKERだ。旧車狂の間で“戦前までのアメリカン・モーターサイクルの最高峰”と評される存在だが、創業からたった10年で姿を消した悲運に加え、当時の生産台数も主力のVツインモデルで100機未満。リアルタイムを知る古参はもはやアメリカでも稀、ゆえにそのプロフィールは厚いベールに包まれたままである。
 旧車専科を標榜する本誌ゆえ、“CROCKERの独自取材”は創刊当初からの野望だったが、本誌オークランド支部のKEN NAGAHARAが北米大陸を駆け回り4年、遂に取材をメイク。かくして本誌初登場となるご覧のCROCKERは後期モデルにあたる1940年式の通称“BIG TANK”で、排気量6IciのOHVを搭載。オーナーは前項で紹介した“究極のサンロク”のオーナーであるデイブ・ミネルバだ。
 スピードウェイで最速を誇ったCROCKER のV型45度バンクのOHVエンジン。そのデビューは1936年、いみじくもH-D初のOHVモデルKNUCKLE HEADと同年だった。参考までに市販のE/EL が380ドルで販売されたのに対し、CROCKERは495ドル。1000ccから1490ccまでの排気量が選べ、ヘッド形状を数種から選択するという細かなオーダーメイド。CROCKERは一部のブルジョアと名うてのレーサーのための、コストを度外視したスペシャルだった─。

現車のタイヤはセットは前後共に18インチだが、購入時はたサイズもオーダー可能だった。リムはH-D同様にケルシー・ヘイズを純正採用。変速はフットクラッチ/ハンドシフトの3速。

フロントエンドはガーダー式。ヘッドライトはGUIDE社製。オーナーのデイブ・ミネルバ曰く、「シートメタルはもちろん、ファンダーはペイントもファクトリー・オリジナル」とのこと。

“BIG TANK”と呼ばれる このCROCKERの見どころはご覧のセパレートタンクで、なんとアルミ鋳造!! 右オイル/左ガソリンを内蔵する。スピードメーターはCORBIN製。アールデコを感じさせる美しいインダストリアルデザインは、デザイナーとしてALBERT CROCKER をバックアップしたPAUL BIGSBYの手腕。蛇足だがエレキギターのパーツでお馴染みの“ビグスビー”も彼の仕事。

1000ccから1490ccまで設定可能だったといわれているV型エンジン。スタンダードのボア3.25"×ストローク3.62"= 61ciのエンジンで55-60馬力を発生したといわれている。これはH-Dのナックルヘッドを優に上回るもの。ただしミッションは3速だった。“HEMI”と呼ばれる初期型は、H-DやINDIANのパーツで構成されていたという。

ひとづてに開かれる道「1928 H-D JD」

静寂に包まれた草原に佇むJD。
東海岸特有の秋風に包まれてのあの撮影は神様からのプレゼントだったに違いない─。

「今から10年ほど前、地元では知る人ぞ知るクルマのコレクターが亡くなって、エステートセール(遺品処分)が開催されると聞いてね。フラッと訪れた会場の一番奥、ガラクタの下に埋もれていたのを発見し掘り出したのがこいつだよ」。
 TODD MICKINAK─彼もまた東海岸のとある街に生きる無類の旧車狂で、複数台所有するヒストリクスの中でも特に大切にしているのがこの1台。秘蔵のJDの撮影を本誌のためならと快諾してくれたジェントルマンである。蛇足だが、彼のようなマニアはそもそも雑誌に載ることに興味はなく、運良くスワップミートなどで出くわしその場で撮影することは可能だとしても、見ず知らずの人間を自宅ガレージに招いて撮影に協力することは絶対にない。歴史遺産を保有するコレクターならなおさらで、信頼する仲間のエクスキューズがあってこそ取材は実現する。
「埃にまみれていたが目を凝らして仰天したよ。サビこそ浮かんでいたが、シートメタルには工場出荷時のオリーブグリーンが残る正真正銘の1928年のJDだったからね」。
 トッドが聞いたハナシでは、オーナーはクルマのみならず大のバイク好きで、生前はたくさんのコレクションがあったそうだが、最後まで手放さなかったのがJDだったという。
「こいつを譲り受けた時、エクストラパーツと共に前オーナーが1962年に撮影したとい1枚の写真を渡された。今とほぼ変わらぬこの28JDが写っていたよ─」。
 それは東海岸特有の秋風に包まれての撮影だった。やわらかな西日を受けるいにしえのH-D。静寂に包まれた草原での夢のようなひととき。あれはモーターサイクルの神様からのプレゼントに違いない─。

28度のキャスターアングルを持つシングルクレードルのリジッドフレームにスプリンガー、F20/R18のホイールにF3.85×20/R4.00×18のタイヤをセットアップ。ちなみにフロントブレーキが採用されたのはこの年式からだ。

吸気OHV/排気SV機構のF-HEAD(通称ポケットバルブ)エンジンは、ボア3-7/16×ストローク4”で排気量74ci。キャブはSCHEBLER社のDELUXEを装備する。参考までにエコノミーモデルのJは排気量61ciに設定された。今から87年前、昭和3年に生産された1万1007台のうちの1台である。

右ガソリン/左オイルのセパレートタンクフットクラッチ/ハンドシフトの3変速。スピードメーターは CORBIN製。

最も“レア”な年式のバーンフレッシュ「1943 H-D EL / SPECIAL SPORT SOLO」

世界中に飛び火した戦闘の最前線に送られる米陸軍のWLAの製作に追われ、民間機の製造が極度に落ち込んだ43-45年のH-D。
歴代のナックルで最も少ないのが1943年式だ。

 アーミーモデルWLAの生産が25000台超とピークに達した1943年、同年式のナックルヘッドはE/F系を合わせてもわずか2O0台に満たなかった。この数字からもわかる通り、1943年式のOHVモデルは、生産台数でいえば1936年から47年まで製造されたナックルヘッドの中で最も“レア”な年式である。
 ご覧のナックルはまさにその43年式で当時生産された53台(!)のELの1台。いかにもバーンファインドといった迫力の出で立ちだが、アウトフィットを彩るライトグレーはファクトリーオリジナル。物資が不足した戦中モデルならではの色彩である。
 オーナーのダニーはヴィンテージバイクのレストアラーとして70年代からキャリアを重ね、その一方でピリオドパーツをコレクトし続ける旧車狂。“本場アメリカの”という前振りを差し引いてもそのコレクションは圧倒的、文字通り“筆舌に尽くしがたい”規模だった。
 12歳でバイクに乗り始めたダニーは15歳の時に友人の父親の1956FLHに乗りH-Dの洗礼を受ける。その2ヶ月後にオリジナル1949年式のハイドラを手に入れ数年乗った後にチョップ。以来飽きることなく、オールドH-Dが常に身近にある生活を送ってきたという。
「フラット、ナックル、パンヘッド。この3機種を全年式揃えるのがゴールだ」というダニー。ちなみにそのゴールまであと数台に迫っているというから驚きだ。「3機種をコンプリートしたら?シャベルの全年式に挑戦するよ」。現在100台超を所有するダニーは、そう遠くない未来に夢のミュージアムをオープンさせる予定。圧巻のクレクションが見れる日も近い!本場のコレクター、恐るべし─。

根強いファンを従える排気量61ciのOHVエンジン。パンチのあるホットモデルとして1941年にラインナップに加わったF系は74ciに設定された。

1980年代、ニューヨーク州ローチェスターにある東海岸で一番大きなパーツカンパニーの社長から譲ってもらったという1943EL。生産台数では30sナックルよりも希少である。

text & photo:Ken Nagahara
MEDIA:ROLLER vol.15

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